各自が個人として
尊重される社会を目指して
憲法(田中ゼミ)
指導教員:田中 美里
憲法の条文は、他の法規範と対比しても、非常に抽象的な書かれ方がされている。ゼミや講義などを通して学生と話していても、憲法を学習する上でハードルの一つになっているのが、規定の抽象度の高さにあるように感じられる。
たとえば、「表現の自由」を保障している憲法21条を見てみよう。憲法21条1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めている。これだけを見ても、「表現の自由」とかいうものが憲法で保障されているらしい、とは理解できる。では、近年制約の必要性が強く主張されているヘイトスピーチの問題に対してはどのように考えるべきだろうか(「ヘイトスピーチ」とは、一般的に、ある人や集団の出自や信仰などを理由に、当該個人や集団に対して憎悪を表明する言論である)。この問題を適切に理解し、一定の答えを出すためには、「表現の自由」は重要らしい、という抽象的な理解で満足するのではなく、どのような表現活動が、誰の、どのような利益に繋がっているのか、その利益は社会の他の利益と比較してどの程度重要なものであるのか、などを可能な限り具体的に想像していくことが必要だ。
このような考えから、田中ゼミでは、自分の「本音」を自分の言葉で語るということを大切にしている。教科書などに書かれている美しく整理された表現や抽象的な概念を使いこなせるようになるということも学習の1ステップとしては必要であるが、それで満足していては、結局、自分の本音とは乖離した、誰かの考えを鵜呑みにしているだけになってしまう。実社会で発生している複雑な問題に立ち向かっていくためには、自分が本当のところは何をどのように考えているのかという本音を具体的に自覚することがまず必要だ。
自分の「本音」に気付いた後は、それを他の人の「本音」と突き合わせた上、可能な調和を探っていく段階に入る。その際に必要なのは、自分がこれまでの限られた時間の中でしてきた経験は非常に限定的なもので、他の人はそれぞれに別の経験をしており、人はそれぞれの経験に基づいて、全く異なる考え方を持つに至っているのだということに気付くことである。
田中ゼミでは、毎年冬に、青山学院大学や明治大学などの他大学の憲法ゼミとの合同ゼミに参加している。合同ゼミでは具体的な事例についてそれぞれの学生が準備してきた内容を発表し、質疑応答を行う。同じ大学生であっても、通う大学や教わる先生が変われば、様々な考え方をもつようになる。自分とは全く異なるバックグラウンドや知識を持った人たちと議論できる機会があることは、自分の視野を広げることにつながるものと考えている。
自分の「本音」を自分の言葉で語ることが重要だ、とは言っても、皆で議論するためには一定の「共通言語」が必要だ。各自が自分にしか分からない表現で自分の考えを語っているのでは、互いへの理解を深めることは不可能になってしまう。
そこで、田中ゼミでは、前期に約半年間かけて、憲法に関連する問題について考え、議論するために必要な基礎的な知識を学ぶ。専門演習に入る前に、1・2年生の時に一通りの講義は受けているのであるが、非常に多くの学生に対して担当教員が1人になってしまう大講義では、学生各自の理解度には当然ながら大きく差が出来てしまう。そこで、専門演習では、少人数であることの強みを活かして、学生自身に、自分が実は理解できていなかったことに気付いてもらい、そこを教員や他の学生が重点的にフォローアップすることを目指している。
後期には、前期に身につけた知識をフル活用して、より実践的な議論に取り組んでもらう。上述の合同ゼミに向けて、具体的な事例を使いながらディベートを行い、自分の考えを憲法学上の概念や判例を用いながら表現することや、自分とは異なる考え方をもつ人と議論する術を身につける。ディベートは、屁理屈をこねて相手を論破するゲームではない。むしろ相手が言おうとしていることに真摯に耳を傾け、そして自分も可能な限り相手に理解できるように話そうとする努力の上ではじめて、対話は成り立つ。このような対話の技術は、大学卒業後どのような進路に進もうとも、他の人との関わりの中で生きていく以上は必ず必要になるものである。
憲法の基本原理として、個人の尊重というものがある。これは、諸個人がそれぞれに持つその人らしさを尊重するというものであるが、実社会において「個人の尊重」を実践していくことは意外に難しい。相手の言うことを全面的に受け入れるだけならば、それは自分を過度に犠牲にすることとなり、自分のことを一個人として尊重していないことになってしまう。他方で、自分の言い分を無理矢理に突き通そうとすれば、他の人の個性を尊重できなくなってしまう。だからこそ、まずは本音で語った上で、自分と相手が、それぞれどこの部分は妥協が可能で、どこの部分はどうしても譲れないのかということを的確に理解し、調和の策を探るということが重要である。
田中ゼミでは、憲法の議論を通して、他の人ばかりを優先するのでもなく、自分のことばかりを優先するのでもなく、他の人と自分を、等しく大切にするという感覚と、そのための術を身につけることを目指して、日々学習を進めている。